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演劇集団土くれ

Author:演劇集団土くれ
1967年,国税の職場の文化祭にて、芝居をつくり参加したことをきっかけに結成されました。その後、劇団というかたちで活動し、50年がたちました。

今はいろいろな職場の人たちも加わり、アマチュアながらも年に一回の公演をコンスタンスにこなし、「麻布演劇市」を中心に、職場と地域に根ざした活動を展開しています。

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広島取材旅行 ~2日目~

取材旅行2日目は、ホテルの美味しい”金の朝食”を頂き、お天気にも恵まれて9:30~語り部の方にお話しを聴くため国立広島原爆死亡者追悼平和記念館に向かいました。



原爆の語り部である新宅勝文さんは、昭和20年8月5日の日20歳でした。現在90歳の新宅さん、少し腰が曲がりゆっくりゆっくりと部屋に入っていらして椅子に腰を掛け、話し始めると…すでに何百回も話したでしょう、まるで台本があるかのように少し遠くを見ながら話しはじめました。



詳しくはこちら

1時間があっ^_^と言う間で、団員の皆さんの中には時折ハンカチで涙をぬぐっている方もいました。

「人間は生きたいのです。
今こうして生きているのは当たり前ではないのです。」

という言葉が胸にやさしく響きました。

その後、平和通りにある「さくら隊原爆殉難碑」に花を手向けに行きました。みんなでご冥福をお祈りし、公演をさせて頂きますとご挨拶をしながら手を合わせました。



さくら隊の皆さんがとても喜んで、「がんばってね。応援しています」と笑顔見守ってくれているかのように、みんなを静かな空気が包み込んでいました。

被爆者の手記をたくさんたくさん読んで「父と暮らせば」を書いたという井上ひさしさん。
「紙屋町さくらホテル」も井上さんが亡くなった方々の代弁者となっている作品だと思います。

新宅さんが語り部となり苦しい体験を伝えて下さっているように、私達も今回の公演を通してその役割の一端を果たしたいと思いました。

その足で広電で宮島に向かいました。
小さな路面電話にゆられゆられて1時間。
広電宮島口からフェリーで10分。



宮島でお昼を食べて一服してから、厳島神社に参拝。



引き潮で鳥居が砂浜に立っている状態でした。初めての私は少し残念でしたが、あまり見られない状態とのこと。
本殿では挙式が行われており、雅楽の生演奏を聴けてとても素敵でした。

帰りに参道で食べた小沼さん絶賛の揚げもみじまんじゅうを食べて、すっかりご機嫌となり広島駅に向かいました。

…が、広島駅に到着し気付けば新幹線出発まであと20分足らず~

あたふた買い物をし、ホームに向かうと五分前だというのにまだ半分が来ていない(~_~;)

2分前…まだ来ない。
新幹線が到着してもまだ来ない~…

ひとまずバタバタと乗り込むと、しばらくしてから席で合流!
良かったね~と顔を確認すると…
ふたり…佳代ちゃんと奥山さんが、いない……

石塚さん、小沼さんは急いで連絡を取ると、なんと間違えて1つ前の新幹線に乗ってしまったとのこと。福山で乗り換えるとのことでホッとしたのもつかの間、私達の乗っている新幹線は福山は止まらない‼️

そう、私たちが乗っているのは「のぞみ」、奥山さんたちが乗り間違えたのは「こだま」。
そんなこんなで2人の乗っている新幹線を追い越してしまいました。

福山で別ののぞみに乗り換えて、30分遅れで東京に着くと連絡があり、それならと一安心…かとおもいきや、乗車チケットの関係で、乗車料金が新たにかかるとのこと!お金が足りないから東京駅で小沼さんが待っているという状況に。

それを聞いたまなさん・石塚さんは、「一緒に待つよ!」「かよちゃん、落ち込んでるだろうから」と温かいひとこと❤️

じゃあそうしましょうという流れに、またメールがあり、「車掌さんがいい人で料金がかからないようにしてくれた」との知らせ。
みんなで胸を撫で下ろし、一件落着‼︎

無事笑いあり涙ありの珍道中…いやいや、取材旅行も終わりました。

新幹線から見える夕刻の景色に、メンバーの皆さんの旅の時々の姿が浮かんでは消え、土くれさんの魅力の秘密が少しわかったような気がしました。

小林明日香

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